心に残った言葉
『迷惑が愛されるような人間になれ』 P178
「他人さまに迷惑をかけないで生きていこうなんていう、おこがましい考えは絶対にもつな」
まず、人間は生きている以上、かならず他人に迷惑をかけているのだ。
最近の親たちは、とかく、
「他人にさえ迷惑をかけなければ、それでいいではありませんか。わたしは、そのような子に育てております」
と、もっともらしい顔をして言う。冗談言うな、と言いたい。生きていること自体が他人に迷惑をかけているのである。他人に迷惑をかけないで生きていくことなどできやしないのだ。だったら、どうすればいいのか。
わたしが娘たちに贈る言葉がコレである。
「他人に迷惑をかけたとしても、その迷惑が愛されるような人間になれ」青木雨彦・著『長女の本』 p177~p178より引用
私も子供のころから「人に迷惑をかけるな」と散々言われて育ちました。
人に迷惑をかけないよう、人との接し方も消極的だったように思います。
この言葉に出会ったのは確か27歳くらいの頃。
(そうよね、他人に迷惑をかけないで生きるなんて無理よね。)
(迷惑が愛されるような人間なんて、そのほうが難しそう…)
(でも、迷惑をかけることを心配しながら生きるより、ポジティブな生き方よね。)
と、思えました。
後述しますが、期待した内容と違ったためガッカリしていたのですが、この言葉と出会っただけで私には価値がありました。
ブログを始めるにあたり、どうしても最初に書きたかった本になるくらい…
おかげで多くの友人知人に迷惑をかける人生になっていると思います。
迷惑まで愛される人間になっているのかは「?」ですが😆
迷惑をかけた皆さんの許容力に感謝しながらポジティブに生きられていることは確かです😊
要約
プロローグ
- 「長女は父親の履歴書」…松本清張さんの言葉の引用
- 著者には娘が3人=長女は最初の子供
- 父親に起こったできごと=長女が何歳だったのか、と思い起こすことができる
第一章 長女は父親の履歴書
- 父親(著者:青木雨彦氏)の半生と長女との思い出の回顧
- 次女や三女の話題もあり
- それでも、長女への想いは特別
第二章 長女父親本線に霧深し
著名人の長女エピソード
- 杉田かおるさん…油断ならない長女の勘
- 山口百恵さん…家族に対しての過剰なまでの責任感
- 勅使河原霞さん…「娘としての愛ではなく、後継者としての愛」
- 父親の思惑を見抜く娘
- 安達瞳子さん…家元を守るため波紋を申しつける父
「サヨナラ」とは言えない娘 - 向田邦子さん…向田さんの文学=「長女の文学」
「字のない葉書」「胡桃の部屋」などの作品紹介
第三章 長女・次女・三女の行動学
- 長女と母親はツーカーの仲、一卵性双生児
- 長女…動作が鈍く、おっとり
- 次女…動作が早く、おっちょこちょい
- 三女…甘ったれ(当時中学生)
- 疎外された父親の気持ちを最初にわかるのが「長女の条件」
第四章 長女の条件、その性格
著者:青木氏が開講していた文章講座、受講生6人の作品紹介
- 姉妹の長女
- 同じ年の弟がいる長女(双子)
- 7人兄弟の2番目の長女
など、さまざまな立場の長女の作品を紹介している
第五章 長女よ、キミは自由なのだ
- 子供たちの名前(優子・祥子・雅子)の由来
- 貧乏時代に生まれた長女、ある程度金銭的余裕が生まれてできた次女・三女
- 長女が幸せで次女・三女はかわいそう
- 理由は、親から独立したときすでに苦労という免疫ができているから
- 最後は結婚式に関する想いを。
長女の結婚式で「泣く」か「泣かない」か
長女に「帰っておいで」と言うか「帰ってくるな」と言うか
エピローグ
- 長女との山茶花に関する思い出話
感想
実はこの本、『占いの本』と思って購入した本なのです。
占い好きなので、「長女ってこんな性格で~」なんてことを期待して買ったのです。
が…
はい、見事に裏切られました😅
正直、そういう思いで読み始めたので、最初は読みながら苦痛でした。
どうして、この人の自慢話を聞かなきゃならないの…?
それが、冒頭の言葉で一変!
途中で読むのを諦めないでよかった~😆
出会いって、そんなものかもしれませんね。
わが家では、長女も次女も三女も、なぜか女だ。そして、元女が一人。p102
女というのはどうひっくり返しても女であり、男だって、どうしようもなく男なのだ。それなのに、男に男らしさを求め、女に女らしさを求めるのは理論的にもおかしい。p104
いくら女らしい男であっても、いくら男らしい女であっても、その人が男であり、女であることに変わりはない。p104
今だとヒンシュクを買いそうな言葉ですね。
現代のようなジェンダーという考え方はない時代の話です。
私が知らなかっただけかもしれませんが、少なくても「ジェンダー」という言葉は一般的には使われていなかったと思います。
タイトルの「長女の本」の”長女”は、あくまでも青木家の”長女”の話が中心。
なので、エッセイらしく、著者:青木氏の想像や思い込みが随所に😅
この辺が合わない人には合わないかも。
父親目線の悲哀が書かれていて、私の父もこういう風に思っていたのかな?なんて思ってしまう部分はありました。
子供たちが水を怖がらないようにするため、泳げないのに泳げるふりをする努力
この辺りはカワイイお父さんですよね😁
コト結婚に関するかぎり、なぜか亭主になる奴は規格品で、そんなに当たりはずれはないが、女房になる奴の場合は、そうはいかない。女房になる奴のほうが当たりはずれが大きいのである。p194
“早い話が、結婚せずに職業を持ちつづけることも、結婚して職業を捨てることも、あるいは、結婚して職業を持ちつづけることも、女たちの自由だ。
男の場合は、結婚しても、結婚しなくても、職業を持ちつづけなければならないが、女たちは、それを捨てることができる。女と生まれたからには、これだけの自由は満喫してもらいたいというのが、私の願いだ。”p195
主夫なんて言葉はない時代、The昭和って感じですね。
(これも私が知らなかっただけで…かもしれません😅)
この本を読むと昭和を生きてきた人は懐かしい感じがすると思います。
- テレビは木目調で脚付き。
- チャンネルは回す。
- 部屋にはちゃぶ台…
そんな表記はないのですが、そんな絵が頭に浮かびます。
完全に私の勝手な思い込みなのですが…😆
長女の本
1984年(昭和59年)1月出版